27年前の阪神淡路大震災を思う
医療機関でのソーシャルワーカーとしての歩みを、一旦、収束することを決めた。
自分に与えられたことはなんなのか。これまでと、今と、を考えて、整理するとともに、新たな発信を続けていかなければならないと思っている。
今日は、27年前、阪神淡路大震災が起きた日。
朝のニュースの中で、震災の日、崩壊した高架の高速道路上になんとか停車し、転落を免れた高速バスの運転手さんのインタビューが放映されていた。
ご自身の生き残された意味を問い続けられたとのことだった。
今、退職を目の前にして、学生に、同僚に、事故当時のことを語り、命の大切さを伝えておられる、とのことだった。
わたしは、当時学生だった。アルバイト先で、被災地にボランティアに向かう社員がいた。わたしは何ができるか?何をしたらいいのか?わからなかったけれど、残った店のなかで、わたしのできることで守る一端を担うくらいしかできないなぁと、思った。
東日本大震災が起きたときには、どうだっただろうか?と思った。
わたしがいる地域は、直接的に誰かが亡くなる、ということは経験しなかった。
それでも、揺るがされたのは地だけでなく、人の心が大きく揺るがされた。
そして、その影響は、長く、今でも続いている気がする。
これから、下記のことを、思い直し、書き残し、自分に問い直して記憶に留めたいと思う。
<地震が起きた日の体験>
<ソーシャルワーカーとしてできることは何か>
被災地のことを知る。
災害のただ中で思うこと、できること。
そのあとに、思うこと、できること。
備えとして、何ができるか。
<今、起き続けていること できること>
心に受けた傷を、わかちあい、癒し
仲間との繋がり
同じく時代を過ごした想いを大事に
昨日は、トンガ沖海底での噴火の影響で、日本にも津波が到達した。
被害を受けた人や、被害を思い出した人、被害を受けた人を支える人のことを思います。
日本に関わらず、今なお、命の危機にある方、伴っておられる方のことを思います。