わたしのキャリア 草創期

わたしが転職しようと思ったのはなぜか。

なぜ、これまで転職しようと思わなかったのか、なぜ転職しなかったのか。

転職について、思い巡らしてみました。

 

 

これから、就職をする方、転職を考えている方、就職・転職を支援する方々にも、

ひとつの例として足しになれば、と自分のキャリアを振り返ってみます。

 

  

キャリアの草創期

~わたしが、医療機関に勤めた理由~

 

 
わたしは、福祉学部オンリーの大学に進学しました。

精神保健福祉士が国家資格化されていなかった時代のこと。

 

 わたしは、社会福祉士の取得は考えていましたが、「精神科」という世界には、興味もありませんでした。友人は、精神科に研修にいって、身も心も打ち砕かれたような顔をしていましたが、わたしは、福祉事務所や、社会福祉協議会、総合病院で淡々と、事業や組織の仕組みを確認し、多少ワクワクしながら、クライアントに会いに行く先輩について歩き、充実した気分だったのを覚えています。

 

 卒論は、大学には失礼ながら、わたしは福祉の知識を学びたいだけで、論文を書きたいわけじゃないのにいなぁ、などと思っていました。なんとか実習記録に毛が生えたような文章を書き上げ、認めていただきました。福祉機器の普及がテーマでした。

 今よりもっともっと、医療も福祉も人手を要していた時代、「自立」のために、介護用品や補装具など福祉機器を産み出すひらめき、フィッティングさせる技術に感銘を受け、マッチングさせる仕組みを求めて、話を伺いに行きました。行った先でお世話になったの先輩方は、福祉職だけでなく理学療法士さんもおられました。介護保険もわたくし同様、「黎明期」でしたので、相談支援センター、などと銘打つところはありましたが、相談機関の整備は、中学校区にひとつなどとはいつのことか、と想像できないような地域も多くありました。

 

 どうやったら、もっと身近に、もっと適切に、もっと確実に、福祉機器が必要とする人の手に渡るか、と考えていたときに、まさにそれを模索している会社の求人が、大学の掲示板に張り出されました。医療用ガスを販売する会社でした。医療用ガスとは、呼吸器に疾患をもつ人が吸入する酸素や、手術など麻酔で使われるガス、皮膚科などで処置に使う窒素ガスなどを扱っていました。大きなボンベに充填したり病院に届けるほか、自宅で酸素吸入ができるように酸素を生成する機械(酸素濃縮器)のレンタルも行っていました。

 取引先は病院なのですが、医師の指示をもとに在宅に酸素ボンベや酸素濃縮器を届けます。それらを点検するのが、わたしの仕事でした。

 会社は、取引先の病院にかぎらず、病院ユーザーが必要としている福祉機器に目をむけていました。医療と福祉の連携がどんどん進んでいくことを見越してのことだったのでしょう。いち早く患者のニーズに沿って、販路を見極めていきたいと考えて、福祉を専攻した自分を雇い入れてくれました。会社は、ガスの充填工場と小さな事務所を関東圏域に何か所ももっていました。現地調達の配送員の人は、運び届けることはとても丁寧にされていましたが、医療経営のことなどみんなが詳しいようには見えませんでした。ライバル会社との競合の話は営業所内でとびかっていましたが、わたしには些末なサービスや数字のコントロールをしているようにしか、わたしの目には移りませんでした。同じ志をもって、同じ大学を卒業した先輩がひとりいましたが、医療の現場にある治療などについての知識を教えてくれる先輩はいませんでした。アンテナをはって社外でも知識を修得しながら地道に勉強していけば、自分のやりたいことを追うことはできたのかもしれません。その会社のホームページを、久しぶりに拝見したところ「福祉機器の販売」が業務内容にはっきりと書かれており、会社の中でも数少なかった福祉機器への関心が、数少ない人の努力や時代に乗って実を結んだのだなぁと感心しました。

 

 会社は、わたしのようなひよっこにも、将来を見込んで十分すぎる給与を与えてくれていました。小さな営業所のなかで、先輩たちも言葉遣いは荒っぽく、今なら「セクハラ」といわれるような言葉も、毎日言われましたが、わたしの学んできたことを活かしきれていないことを気にかけ、葛藤して問いただしてくれるのも毎日でした。

 そんなある日、“配送あがり”の営業所長が、わたしを取引先の総合病院に連れていきました。懇意にしている事務長のもとに連れていきました。

 

 総合病院の事務長は、ご自分のお腹の肉をつまんだり、ひっぱったりしていました。「そのうえで書き物ができるのではないか?」という疑問が、お目にかかるたび、わたしの頭を駆け巡りました。そしてお目にかかるたびに、

 営業所長「この娘(こ)を、どう使ったらいいのかわからんのですよ」

 事務長 「ふーーん。そうなのぉ?」

という、会話を挨拶代わりのようにふたりの間で始めるのです。

 

 この挨拶に、少しずつ、「資格をもってんの?」「大学ではどういうことをやったの?」などなどの質問が加わるようになり、最後には「うちに来ちゃえば?」と、質問→お誘いに。病院から営業所への帰り道、「どうする?」「いいんじゃないのぉ?」と、ちらちら、じろじろ、営業所長は私の顔を横目で見つめ、営業所に帰るや、係長に報告。はじめは「なんだそれ」でしたが、徐々に営業所一眼となって、「それがいいんじゃないの、どうすんの?」と転職に応援モードに。

 画してわたしは、営業所公認で、取引先に転職することになりました。

 

あらためてこの会話を書いてみて、なんだが江戸時代に田舎から売られてきた子の見受け物語のようだと思いました。先につづく、病院での悶着にかき消されて忘れていましたが、転職に終着するまで、わたしにも葛藤があったみたいで、数年後に友人に「あのとき、結構悩んでたよね」と言われました。

 

 で、あのときの葛藤をほじくりだして、キャリアコンサルタントのロールプレイで、演じたところ、カウンセラー役の方から「『1年も立っていないのに、へこたれるな。頑張れよ』と言ってやりたいと思った」と言われました。あとで、「これ、わたしのことです」とネタばらしすると、唖然。

 就職活動の度にも、卒後1年の経歴を“どうして転職したの?”と、困惑顔で聞かれますが、この時代劇のような話をするうちに、相手の表情が緩みます。

 

かくして、わたしは、病院勤めのソーシャルワーカーになりました。