退職予定日まで あと4ヶ月 自分がいなくなった後の準備

 転職先には、一度会社を訪問する予定になっていたが、コロナ禍ということもあり、面談は最低限にしようという配慮から連絡はメールと電話のみだった。

 現職場でも、いつもの慌ただしさに加えて、コロナ禍での混乱もあり、わたしが抜けた後の計画などしている余裕もない状況だった。

 ここ数年にわたり、新入職員の教育を続けてきた。わたしと協働して教育にあたっていた後輩には立場を移していく必要もあり、退職を伝えた。彼は他の人以上に、ショックな様子だった。「寂しい」と言ったきり、いつもは建設的な意見を述べるのだが、1ヶ月ほど新しい体制について何も語らなかったし、業務中も話しかけると憂いを漂わせた表情をしていた。

 それから今後は彼らの教育に直接的に関われないこと、わたしからの指示で動く幅を減らし、より自発的に動く幅を増やす覚悟を促すためにも退職を伝えることにした。

 

「辞めた後のことは、後の人が考える」として、自分のスタンスとしては、在職中は責務を全うする、ことに焦点を当てることにした。悔いが無いようにという自身の自己満足からの発想ではないか?と自問するが、それだけではなく決心した。病院の勤務を終えても、ソーシャルワーカーとして活動したい、アイデンティティソーシャルワーカーでありたいと思っている。ソーシャルワーカーの支援の対象は一個人にとどまらず、患者・家族・社会に対してである。また、わたしが特定の個人への支援を終結したとしても、病院の働きかけは終わらない。仲間による支援は続いていく。ソーシャルワークが展開されるこの場所がよりふさわしい支援をしていけるようにしたい。わたしはいただいてきた先輩・クライアントからいただいてきた関わりは、わたしの財産であり、この職場の財産だと思うで、そこから得た気づきがあれば出来る限りいち意見として置いていこう、示していこう、と思っている。居なくなる人にとやかく言われたくない、と思う人もいるだろう。自分がやり方を強制することがあってはならないとも思う。

 

 皆に退職を伝える前後から、極力きづいたことを後回しせずに伝ええるようにした。また、申し送りにとどまらず、手技や方策として伝えられることはまとめて伝える準備を始めた。

 

 反面、伝えても伝わらなかったり、仲間が同じところに着眼しないことに苛立った。それが自分を退職に追い込んでいった原因のひとつのようにも感じられた。ただ、嫌だから辞める、ということを誰にも言いたくなかった。自分にも周囲にも、前進する手段として自分の退職を位置づけたいと思っていた。不満と積極的な思いと、両方が存在するのだとは思うが、隠そうとしたり、無視することによってより不満は増大して抱えきれなくなりそうに感じられた。